ヒトが人になった日


クリスマスも近いって言うのに相変わらずはっちゃけたネタが浮かばず
今回も硬いかもしれない&一部の人以外にはどーでもいいだろって
いう話を書きますが、よく考えたらいつもほとんどどーでもいいだろって
話題じゃないかといわれると、その通りですとしかいえません。

さておき、現生人類が地球上に降り立ってから現在に至るまで、
諸説あるが現在では約20万年前ぐらいではないかという説もある。

実のところホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス、俗に言う
ネアンデルタール人がアフリカを出て、ヨーロッパやアジアに移住
したのは我々の先祖より先である。

その後アフリカとユーラシア大陸は何らかの形で分断されたのだろう。
ほとんど旧人しかいない状況であるユーラシア大陸に、ネアンデルタール人が
進出し、一気に勢力を拡大したと考えられる。

逆に言うと、それ以前の各地に旧人はいたというわけで、つまるところ
アフリカからヒトという種は何度も旅立ち、世界各地に広まり、そして滅んだ。

ネアンデルタール人も例外ではなかった。
彼らの脳容積は現生人類に匹敵、いやそれ以上のサイズであったにも
かかわらず彼らは生き残ることが出来なかった。それは何故か?

…脳がでかけりゃ頭いいかどうかわかるんだったらテストいらないって
いう話もあるけどさ、一定の指標にはなる。
例えば、チンパンジーの脳は現生人類の約40%の容積しかない。

でもやっぱり脳の容積が現生人類より大きいんだったら、現生人類より
賢そうな気もするけどさ、やっぱり実際には違うんだよな。
例えばおっぱいだってでかけりゃいいってモンじゃないでしょ!

彼らと我々の違いは何か?
大きさだけでなく、形を比べることにしてみよう。
そうそう、形も大事だよな。

彼らと我々の脳の形の違い、それは頭蓋骨にくっきりと現れている。
前頭葉のサイズ、大脳辺縁系が全然違うのである。

彼らにはおそらく我々と違って出来なかったことがあると考えられる。
それは、「限定的であるが未来を予知すること」だ。

というと、おいおい俺らそんなことできないぞといわれるかもしれないが、
よく考えてみると、例えば今冬だけどあと数ヶ月もしたら春になって
暖かくなるということをわれわれは予想できる。
そしてそのために必要ならば準備もする。

例えば今秋でもうすぐ寒くなることがわかれば、上着のひとつも入手
しようと考える、それが我々である。

ところが、ネアンデルタール人にはそれが出来なかった。
未来を想像すること、予想すること、相手の立場に立って考えること、
いろいろあるが前頭葉の働きはおそらく現生人類より劣っていただろうから、
だとするとこれらのことは出来なかったはずだ。

限定的な予測、思考の幅を広げる能力、これらが決定的に欠けていたと
考えられる。要するに想像力(妄想力ともいう)が足りなかったんだね。
とかいうと想像力ばっかりあっても空想してたんじゃしょうがないから、
彼らは現実主義者だったのかというとこれもまた違う。

例えば急激な環境の変化があったと考えてくれ。我々ならどうするか?
変わっていくだろう環境の情報を入手して、それをもとにこれからどうする
かを決定する意思判断を行うだろう…こういう人を現実的という。

そういう意味では彼らは刹那的に生きていたのだろう。
少なくとも農耕や貨幣の使用や株式投資で自滅、を彼らが行った形跡はないし、
樹海で首つったネアンデルタール人なんて聞いたことがない。

未来を想像するということがネアンデルタール人には(おそらく)出来なかった
であろうから、おそらく急激な環境変化に耐えられなかったのかもしれない。
そして最大の急激な環境の変化、それはホモ・サピエンス・サピエンス、
つまり現生人類の出現ではなかろうか?

現生人類と彼らには大きな違いがある。
人類と他の生物を機械に当てはめて考えると、人類がパソコンで、それ以外の
生物はそれ以外の機械、といえるかもしれない。
それ以外、にはある意味ネアンデルタール人も含まれる。

大脳の前頭葉、大脳辺縁系の発達がわれわれに思考力をもたらしているわけだが、
そのことによりわれわれは、各種環境にハードウェア(身体)ではなく
ソフトウェア(脳)で対応することが可能となった。

環境が変化したら環境に応じてその情報を入手、同時に行動を変えることが出来る。
他の生物には基本的に出来ない芸当である。
ネアンデルタール人もその方向にある程度は進化していたのだろうが…

現在パソコンが一家に一台くらいの勢いで存在するが、これはパソコンが
ソフトウェアによって画像も、音楽も、TVやゲーム、通信…とにかくさまざまな
機能を持つことも一因にはないだろうか?

さて、最後にネアンデルタール人はどうなったのだろうか?
かつてはネアンデルタール人は現生人類の凶暴な性質によって圧倒されたという
説が主流だったが、分子生物学的にはどうもそうではないようである。

そもそもネアンデルタール人自体、下手すりゃ2万年前前後にはまだ残っていたかも
しれないのである。最も現在は残っていなさそうではある。
というわけで、彼らの遺伝子のほとんどは残っていない。

んがしかし、どうやら彼らと現生人類の先祖はおそらく混ざり合ったのではないか、
ある種の遺伝子は我々と彼らで同じであるのではないかという話も不確定では
あるが分子生物学的に出ているのだ。

そういう意味で彼らの遺伝子の一部は我々の中で生きている…そしてここからは
(彼らが出来なかった)想像の世界だが、混ざり合ったことにより現生人類が
生まれたのかもしれない
…と考えるとなんだか不思議な気分ではある。

彼らは滅んだともいえるが、ひょっとしたらまだ我々の中に生きているといえるかも
しれないのだ。よく亡くなった人をしのんで、彼らは私の中で生きているという
ことがあるが(例外として遺児だったら彼(の遺伝子)が私の中で生きているってのはいえるか)
それ以上にネアンデルタール人の遺伝子が我々の中で生きている…のかもしれない。

ところで冬至というのは、日照が一日で一番短い日である。
つまり冬至から日照は徐々に伸びていくことになる。
豊穣、破壊、死と再生、そういったものをかつての人々はこの日に託したことだろう。
ある意味でこの日こそがヒトが人になった日ともいえるのではないだろうか?

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